槙野・日曜講座 唯物論の歴史
日程:2024年10/27(日)~2025年7/27(日)
毎月第4日曜日・全10回
時間:午後2~4時
講師:槙野理啓(関西勤労協副会長)
会場:関西勤労協(森ノ宮)
受講形態:会場・WEB録画配信・DVD
テキスト:槙野理啓『唯物論の歴史』(関西勤労協)
■ 講義日程とテーマ
① 10/27(日) 哲学史を学ぶ意義
② 11/24(日) 古代唯物論の誕生とその発展
③ 12/22(日) 古代ギリシア・アテナイ期の哲学
④1/26(日) 古代その後の哲学と中世封建制社会の哲学
⑤2/23(日) 資本主義社会形成期の哲学
⑥3/23(日) ブルジョア哲学の展開
⑦4/27(日) ドイツ観念論哲学の成立と発展
⑧5/25(日) ヘーゲル哲学
⑨6/22(日) ドイツ観念論哲学の崩壊とマルクス主義哲学の成立
⑩7/27(日) 科学的社会主義の世界観と現代の観念論
【呼びかけ】
唯物論とは何か-この案内を手にされている方にとっては、わかりきった問題かもしれません。物質と意識の関係をどうみるか、物質世界の本源性を認めて、現実をありのままにとらえようとするのが唯物論です。反対に、物質世界の本源性を認めず、人間の意識の能動性を一面的に強調するのが観念論です。どちらが正しいか、どちらが働くものにふさわしいものの見方かと問われれば、「唯物論だ」というのが当然の答えだと思います。
でも、人間は、ある意味で、観念論的にものを考えるようにできています。「ことばを使って考える」ということ自体が観念論的です。「バラ」といえば、目の前にそれが存在しなくても、バラの花を思いうかべることができます。「イヌ」でも「ネコ」でも「山」でも「川」でも、現物が存在しなくても意識のなかに表現することができる、ここにすでに観念論の可能性があります。「知らないことは想像で埋め合わせる」「不足していることは空想で補う」「見てもいないのに推理する」「不確かであっても判断する」、こうしたことも観念論的です。「客観世界の存在など確かめようがない」「理性よりも衝動や情熱が大事だ」「人間の意志や自由を尊重したい」、こうした主張には説得力さえあります。そして、世間に目を向けると、書店は「霊」であふれかえっています。テレビは毎日「今日の運勢」を報じています。あやしげな「科学者」や「経済アナリスト」がマスコミをにぎわせています。
一方、唯物論はどうか。「世界の根源は物質的なものである」というのは、わかりやすい話です。しかし、わかりやすいからこそ、それが落とし穴にもなります。事実にもとづいて認識した事柄であっても、安易にその適用範囲をひろげれば機械論的な考え方になってしまいます。唯物論的な考え方であっても、ものごとを単純化して因果関係に還元してしまうなら、決定論的な理解にとどまってしまいます。自然でも社会でも人間でも、ものごとは、たがいにつながりあい影響しあいながら、たえまなく運動し変化し、しかも発展の方向がつらぬかれています。そうした複雑な世界を、安易に、単純に、固定的に見るなら、いくら事実にもとづいて考えているとしても、正しいものの見方とはいえません。
そしてなにより、階級対立のある社会においては、あらゆる理論はかならず階級性をもつということです。社会的な立場がちがえば、ものごとを認識する段階で、その方法や受け止め方がちがってきます。また、理論の活用についても、社会のあり方を守ろうとするのか変えようとするのか、その目的が正反対になります。社会の支配階級は、富を独占し、武力をそなえ、支配と管理のための権力機構をととのえるだけでなく、勤労大衆のものの見方・考え方まで支配しようとしています。事実・現実を直視し、不合理を現実のうちに解決していこうとする唯物論を排除し、世界の精神的な原理を説き、人間の意志や感情だけを問題にする観念論を意図的にひろめようとしているのです。
こうした社会で、私たちが、働くものにふさわしいものの見方を身につけるには、「唯物論」や「観念論」、あるいは「弁証法」といったことばを理解するだけでなく、それらが練り上げられてきた歴史、とりわけ唯物論と観念論の論争の歴史を学ぶことが求められます。それぞれの時代に、どのような背景のもとで、人が何を考え、何を主張し、それが人びとにどのような影響をあたえ、また人びとがどのように考え方を変えてきたか、その全体をとらえようとすることが大切なのではないでしょうか。
10月開校の「唯物論の歴史」、ぜひ受講されることを呼びかけるものです。 槙野理啓